2009年7月31日金曜日

関学70年ぶり夏の甲子園出場

高校野球の季節だ。

連日暑さの中、各地で決勝戦が行われ、次々と出場校が決定している。
関西学院高等部の甲子園出場は戦後初めて、実に1939年(昭和14年)以来、70年ぶりの出場となる。

兵庫県西宮市にある甲子園球場。同じ西宮市の上ヶ原台地にある関西学院高等部にとって、甲子園は本当に近くて遠い聖地だったのだ。

我が家に近いこの学校が、8月8日、第91回全国高校野球選手権に出るという快挙。もう選手の身内のように嬉しい。よくやった!! みんな本当におめでとう。心から応援します。
もう、涙が出そうです。大会はまだこれからなのにネ。
監督の広岡正信さん(55歳)OBで、母校を甲子園に導いた功績を讃えたい。

わが弟もかつてこの野球部で、中・高時代、真っ黒になりながら白球を追っていた。部員も少ないうえ、グランドも整備がイマイチでイレギュラー・バウンドの球でけが人も続出していた。
大会予選で姫路か明石だか遠い試合会場へ早朝から出かけ、夕方さらに黒光りするくらい汗まみれに焼け、がっくり首をうなだれて帰ってきたときは、かける言葉も見つからなかった。あとでわかったのは、当時、破竹の勢いの東洋大姫路高校に負けたということだった。

さらに後、何かの話の中で弟が「1回でいいから、だれか試合を観にきて欲しかった」と言ったひとこと。
これは堪えた。そうだったのか、かわいそうな事をしたという、ただその思いでいっぱいになった。

家が商売をしていて、親は休みもなく、私自身もバスケの部活どころか父兄会にも、親に来てとは言い難いので、言わない子どもだったから気づかなかったのだ。

小学校のころから、弟たちを散髪に連れて行ったり、修学旅行に必要なものを買いに行ったり、弟が学校で怪我をしたといったら、先生が私の教室に連絡をしてきて、私がバスに乗せて病院まで連れて行ったりしていたくらいだから、親は来られないものと思い込んでそれで当たり前だったから。かわいそうなことをした。

今度の関学・窪大介内野手(17)・主将は、小さい時からの大病を乗り越えて抜群の根性の活躍。
お母さんが心から応援し、眼を潤ませたという。家族の応援が大きな励ましになる。
これが高校野球。これぞ高校野球。
さあ、家族もOBも、近所の人も、現役学生も、職員もみんなそれぞれの応援すべきチームを応援合戦で、暑い夏を楽しみましょう。

いいなあ! 高校野球。

神戸新聞の記事は、こちらから
http://www.kobe-np.co.jp/news/sports/0002181145.shtml

2009年7月23日木曜日

皆既日食



22日、国内で46年ぶりの皆既日食が観測された。トカラ列島悪石島まで出向いた人には、お天気が邪魔して雲間から一部で部分日食が見えただけだったそうだ。一方、地元神戸でも、あんな曇天もかかわらず、ラッキーな人たちに部分日食が見られたとか。宇宙の不思議、すばらしい天体ショーを目の当たりにした子どもたちは、さぞ感激したことだろう。


今回、テレビ等報道で事前になって初めて知ったことだが、昔のような煤で黒くしたガラス板や、下敷きを通して観察するのは絶対しないように、失明の恐れがありますなんて言う。知らなかったな~、子どものときのあの行為は先生が指導してくれ、みんな一緒に楽しく観たのにネ。知らないということは、恐いものなしですが、とりあえず今日まで無事で来ました。


残念ながら私は見てはいないが、何とすばらしい映像でしょう。テレビや写真を見るだけでも感激ものです。
みなさんは、ご覧になりましたか?


☆:次回の国内で観測可能な日食は2012年5月21日の金環日食で、近畿地方南部でも早朝に見られる。
2010年1月15日にも、部分日食が西日本中心に見ることが出来るそうだ。期待しよう。

2009年7月16日木曜日

よく似て非なる...やがて来る老い

普段何気なく使っている言葉が、正しく使えているかと言うと、とてもじゃないがそうとは言いきれない。
日本人でありながら、母国語なのに...です。

ふと、おざなりとなおざりが、分からなくなりました。
けんけん ごうごうと、かんかん がくがく。むずかしい!

中一の担任が国語の先生で、最初の日に中学生になった感想文を書かされました。
参観日にやってきた母がとてもいい文でしたよとほめられたそうです。
ただし「おろそかに出来ない」というところを「おごそかに出来ない」と書いていたと注意されたのが、ほめられたことより傷つき、未だに忘れられない私です。当時の私には、むずかしかったんだ。

なんだか話は、コロっと変わりますが、
介護職の人員不足が問題化し、海外から人材を集めその不足を補おうという試みが導入され、インドネシアの人たちが、医療の介護という大変重労働で低賃金の仕事に取り組み、その上もっと大変な、まったく未知の日本語を勉強するという。話すだけでなく、書くということも覚えなければならない。肉親と離れ、生活習慣も違うし、介護老人の中には痴呆症(認知症)の人も多い。その人たちの要求することも理解しなければならない。思うだけでおそろしく大変なことだ。

そんな血の出るような努力を重ねて国家試験を受け、資格取得を目指す彼らには頭が下がる。是非、受かって立派な介護士になって欲しい。日本の政府の行き当たりばったりとも思える策に将来に亘って彼らをフォローしていける体制がとられるのか? 
むずかしいことは解らないし不安要素は払拭できないが、老人をいたわり、働き者で、やさしい国民性という彼ら。それって、戦前の日本のようだ。
そして、将来私が要介護で入院の際には、縁あらばその方たちに面倒をみてもらいたいなア。ボケていても、イヤ、ボケたらばこそ優しくされたいのです。

なぜなら、きまじめでA型な人間はボケやすいとか言われている。
まさに私はそれなので、わけ分からん点滴を勝手に注入されたり、生つめを2、3枚引き剥がされたり、ボケて言うこと聞かないからと殴られたり、おしめを替えられずに放置されたり、暴言をはかれたりしそうで、本心...怖いからだ。

かつて母の長い入院生活で、病院を転々とさせられ、毎日会社帰りに行くたびに、色んな病院でいろんな人たちを見てきた。介護する側もされる側もその家族も。
似たような怖いことは程度は違え、いっぱいあったし、もちろん病院により、担当看護師により違うのだが、家族が頻繁に来ない病人はなおざり{ ここで、出てきた なおざり いったい合っているのでしょうか? }にされる傾向だ。点滴を間違えられそうなことも何回かあった。
オ~、コワッ!!ヒステリックな医者やタカビーな医者にも、オージョーシマッセ!! キーツカイマッセ、人質?を預けてる身には!!

優秀な看護師(または医者)とそうでない?人との差はテラ大きい。ベテランだからと看護師として優れているかというと一概には言えない。重労働な職場なので若い人のほうが、やる気も体力もあるし、初心を忘れていないので、親切ということは言える。ただ経験が少ないだけだ。
しかし、母性というかやっぱり、愛情を持って面倒をみるという点において、子育て中ママさん看護師はパワーがあって頼りになる。総じて体力が要求されるが女性に向いている職業だと思う。

4人に1人が老人の時代。もう10年経てばもっと老人だらけになっている。外に出て見ると多いと実感する。一方、面倒みる側世代は少ない。少子化世代で、大事に育てられ面倒をみてもらっても、みることは慣れていない世代だ。一生懸命にやってくれていても老人と同居経験がない人が多いので、年寄りの立場でものを考えることに思い至らない部分がある。経験で身につく類に、少し弱いのだ。


電車内で、見渡せば足の悪い人の多いこと。杖をついている人や、手押し車の人、
あ~、私もすぐかな?予備軍だ。その割には駅の設備が充分とは言えない。エスカレーターやエレベーターを鉄道会社は順次設置して行ってはいるが、場所や資金の確保も大変だ。エレベーターやエスカレーターはホームの一番遠くにあったりして、そこまで行くのが大変なのだ。近くに設置すると必要ない元気な人が我先に乗り込んでしまって、本当に必要な人は待たされる。車内でも、足の不自由な人は、ドア近くの手すりのある端っこに座りたい。でもそこは誰もが座りたがる席で、年寄りや足の不自由な人は、獲得に遅れをとる。残念!

年寄りの受難は今後も続くのだ。医療費の値上げに、病院閉鎖。年金目減り。
オ~、コワッ!!が山盛りだ。


年寄りは、動作が遅い。
年寄りは、同じことを何度も言う。
年寄りは、固いものが噛めない。
年寄りは、老人臭がする。
年寄りは、ものが見えにくい。
年寄りは、しかられたくない。
年寄りは、早口は理解できない。
年寄りは、ついさっきのことを忘れる。
年寄りは、むずかしい話は理解できない。
年寄りは、こどもや小動物が好き。
年寄りは、童謡が好き。
年寄りは、笑うのが好き。
年寄りは、お風呂が好き。
年寄りは、お祭りが好き。
年寄りは、昔話が好き。
年寄りは、話を聞いてくれる人が好き。
年寄りは、触れ合うのが好き。
年寄りは、ほめられるのが大好き。
年寄りは、おはよう、ありがとう、よかったね、が好き。

以上、お年寄りと接する時にわたしは、おおよそこう理解して臨んでいることです。
やがて来る道。老人は子どもであり、神様であり、誰の中にもある自分自身ですかね。

言葉の違いを勉強して覚える前に、私はきっちり認知症になってしまうような!?!
願わくば、食べたのに何にも食べていないとか、卑猥な用語を言うとか、ここに置いたのにないアンタが隠したとかの類のボケ方は、どうぞ勘弁願いたい。
まあ、何やかや案じてもボケてしまえばこっちのもの、恐いものなしかも知れません。なるようにしかならんか!!

☆参考までに今日厚生労働省から発表された世界の平均寿命で、日本人の寿命がまた延びた。
世界一の日本女性は、86,05歳(24年連続)、男性は79,29歳(昨年の3位から4位に)、因みに男性の一位はアイスランド、二位は香港、スイスだそうです。
ピンピン、コロッ!! そうありたい。

2009年7月14日火曜日

長生きの秘訣

中高年になってから、カロリー控えめの食事を続けていると、癌にかかるリスクが極端に減ると動物実験で証明されたそうだ。癌にかかる要因は、ストレスや生活習慣等いろいろあるが、昔の人が「腹八分め」と言っていたのは正しい。

聖路加国際病院理事長の日野原重明さんは、今年の秋には98歳になる。今も現役で病院にももちろん出ておられるが、ほかに執筆も講演もインタビューもと、実に多忙に元気にこなしていらっしゃる。素晴らしい。

以前、そのコツは「人を愛し、あいされること」「新しいことをはじめること」「耐えること」と聞いた。

日野原さんは、生きて行く上で、よい習慣を持つことが大切だと言う。
下記の15ヶ条だ。

健康で人生を満喫するためのよい習慣

1.愛することを心の習慣にする
2.「よくなろう」という気持ちをもつ
3.新しいことにチャレンジする
4.集中力を鍛える
5.目標となる人に学ぶ
6.人の気持ちを感じる
7.出会いを大切にする
8.腹八分目より少なく食べる
9.食事に神経質になり過ぎない
10.なるべく歩く
11.大勢でスポーツを楽しむ
12.楽しみを見出す
13.ストレスを調節する
14.責任を自分の中に求める
15.やみくもに習慣にとらわれない


と言われてみると、何でもないことなのに幾つ実行出来ているかといえば、とても心もとない限りです。

日野原さんは、日本は今や世界一の長寿国で女性は第一位(22年連続)、男性は第二位(WHO:2006年度調べ)誰もが80歳以上生きる時代です。しかし、80歳以上の8割が寝たきりです。それでは、長生きの意味がありません。
両親からもらった遺伝子は2万2千、生きている間に使われるのは1割ぐらいでしかないと言われています。病気をひきおこす遺伝子は眠らせたまで、生きて行くことが出来るのです。
生き方によって変えることができるのです。そこで、このよい習慣を身につけることなのです。

日野原さんは、1日、1300キロカロリー (65歳以上は、控えめに)
       朝:牛乳、オリーブオイル
       昼:抜き
       夜:固形食はちょっとにする

のだそうです。(私もその年なら、お昼抜きでもいいケド...今は...無理デス)

また、同じようなことを言っていて興味深いのが、
以前テレビでも話題になっていた癌は告知して、頑張り過ぎない生き方をするという
鎌田實医師、著書に:『がんばらない』 鎌田 實 集英社 ¥560  がある。

この先生が提唱しているのは、下記の7ヶ条

1.食生活の配慮
2.水分(お茶)をとる
3.規則正しい生活(軽い運動)
4.タバコを吸わない
5.ストレスをためない
6.自立心を持つ
7.頑張り過ぎない


どうですか?

2人の提唱することには共通点が多い。
そして気づくのが、昔から日本人が実践していた生活、みな素朴なことばかり。
また、夏休み前の教室で、教師と生徒の間で交わされるお約束ごとみたいですよね。

この当たり前が、できそうでできない。

心して、近づくよう努力しよう。
最近、物忘れも早いから...すぐ忘れそう...ですが。

2009年7月10日金曜日

痛快時代小説 「耳袋秘話 赤鬼奉行 根岸肥前」

 風野真知雄著 だいわ文庫(648円+税)

六二歳で町奉行に大抜擢された根岸肥前守鎮衛。肩には、無頼時代に彫った赤鬼の刺青が光る。
綽名は「大耳」。
さまざまな人脈からもたらされる裏情報が最大の武器なのだ。 その大耳に入った奇談を集めた『耳袋』の著書でも知られる根岸だが、極秘版の『耳袋秘帖』をひそかに記していた。江戸に起きる怪事件の謎を次々解き明かす痛快お裁き帖。
耳袋秘帖 シリーズ第一弾~ (説明文より)

中高年の皆さま
喜んでください。この文庫本は何よりまず、字が大きい。行間が広い。読みやすいんです。
それにもまして、ホントに痛快! 出世がどうこう等と思わず、貧しくともマジメに生きてきた男の人生終盤になって、奉行になるという奇遇なことからして、どんどん先を読むのが楽しくなって来る本なのです。

この中に収められている五話の事件のタイトルも、いいですよ~。

第一話;もの言う猫 
第二話;古井戸の主 
第三話;幽霊橋 
第四話;八十三歳の新妻 
第五話;見習い巫女

とくに八十三歳の新妻なんて、ぜったい読んでみたくなるでしょ! どれも面白かったし、文章の流れも筋もスムーズで、立身出世の話などではない、一人の男として、人として、親として、誰しも共感できる話ばかり。

あっという間に読んでしまいました。この後のシリーズを読み進むのが楽しみです。

2009年7月8日水曜日

宮部みゆき 「ステップファーザー・ステップ」



宮部みゆき著「ステップファーザー・ステップ」 
講談社文庫・649円

中学生の双子の兄弟が住む家に落っこちてきたのは、なんとプロの泥棒だった。そして、一緒に暮らし始めた3人。まるで父子のような(!?)家庭生活がスタートする。次々と起こる7つの事件に、ユーモアあふれる3人の会話。宮部みゆきがお贈りする、C・ライス『スイート・ホーム殺人事件』にも匹敵する大傑作!(紹介文より)


推理小説が好きです。
海外ものが多いのですが、誰かさんが言ってたのですが、横文字の名前をおぼえるのが面倒くさい、筋がこんがらがる。年齢と共に私もそうなってきました。日本語の名前も怪しくなってきている今日この頃、楽に読み進める母国語の本にしますか! 

という訳で、「火車」の乗りを期待して読み始めたのが、大きく外れてしまいました。
まるで、小・中学生向けのアニメの脚本のレベルでした。読み応えのないこと。稚拙でがっかりでした。
アニメの方がレベルの高い作品が多いと断言できます。
あるわけないでしょという筋の流れで、緻密さも推理小説の本質の読者が抱く混迷度もなく、売れっ子作家が、ご気楽に軽くお遊びで書いた作品という風でした。

そう言えばこの感覚、以前にもあったなーと、思い出しました。
もう何十年も前、松本清張の作品が大好きで、ある日手にした作品もまたあのどきどきするような感覚を期待して読み始めた時に「あれっ?!」いつもと違って文章の流れがすごく悪い。ストーリーもまったく「らしくない」と何度も感じ、読んでいる間じゅう違和感がありました。あれとよく似ています。
その時は、売れっ子作家になっちゃって、書く暇がないから弟子か誰か若手のゴーストライターに書かせたんだきっと! なんて、友達に話したことを思い出しました。

この作品は、そこまでは思いません。思い起こせば「火車」を、読んでいるときにもすごく緻密とは思わなかったので、こんなものなのでしょう。いわゆる色んな重さの本が書ける器用な作家ということなんでしょう。

でもこういう作品は、テレビの2時間ドラマには持って来いの筋かも知れません。
まあ、そんなこんなでも本が好きですから、こういうのもありってことで、気楽に読めてなんてファンで、ほめている方もいますので、肩がこらない本ってことです。気が向いたらお読みください。

2009年7月7日火曜日

無差別殺人:パチンコ店放火4人死亡19人重軽傷

5日午後4時14分ごろ、大阪市此花区四貫島1のパチンコ店「CROSS-ニコニコ」が
放火され、男女4人が死亡、19人が重軽傷を負った。

この事件で、6日午後0時40分ごろ、山口県警岩国署に職業不詳、高見素直(41)
容疑者が出頭逮捕された。

最近、訳のわからない、この種の理解できない動機の無差別殺人が多い。
こんなことばかり起こると、誰しも気をつけようがない。
思い起こせば池田小学校の事件
2001年6月8日、大阪教育大学付属池田小学校に包丁を持って進入、
幼い学童を殺傷した宅間守(38)の事件。
この事件では、8名の学童が死亡、職員を含む15名が重軽傷を負っている。

秋葉原のほこてん事件・加藤智大(25)
2008年6月8日、赤信号を突っ切り、横断中の歩行者を次々とはねた2トン
トラックが暴走して秋葉原の歩行者天国に侵入し、次々と周りの人を跳ね飛ばした。
信号待ちのタクシーに接触し停車。運転していた男は車を降りて、はねられ倒れ込む
被害者や救護に駆けつけた通行人・警察官ら14人を所持していたダガーナイフで
立て続けに殺傷した。この事件で7人死亡。10人負傷。

そのほか
下関通り魔殺人事件・上部康明(35)
1999年9月29日下関駅構内に小型車で侵入し通行人をはね、包丁で殺傷した
無差別殺人事件。5人死亡。10人重軽傷。

茨木市連続ひき逃げ事件・辺英鉄(23)
2004年11月18日茨木市内で乗用車が故意に暴走し通行人がはねられ、
死傷した無差別殺人事件。5人死亡。3人重軽傷。

このほか少年による無差別殺人事件で、もっとも記憶にあるのが
1997年の神戸市須磨区の酒鬼薔薇聖斗(14)の連続児童殺傷事件
このおぞましい事件では、子どもが2名殺され、3名が負傷。

これらを思い出すのも嫌だが、なぜこうも簡単に人を殺そうと思うのか。
誰でもよかった。むしゃくしゃした。生きていくのが嫌になった。天の声がした。
捕まって楽になりたかった。と、好き勝手なことをほざいている。
人を殺して楽になるはずはない。事件後のことを考えなさい。

愚か者たちよ、いい加減にしろ。誰でもよかったなら、自分を殺しなさい。
赤の他人を殺して、その家族や周辺を悲しみの淵に巻き込み、おまけに消防署、
拘置所、刑務所と警察を煩わし、裁判に経費をかけ遺族を苦しめてその月日の
無駄を国民の税金を使って生きながらえる必要はない。迷惑だ。
死んだ人も悲惨すぎるし、重症を負った人たちはきっと体の傷は元通りに綺麗
には戻らず、長いリハビリも強いられ、傷跡と共に心の傷は一生消えないと思う。
残酷すぎる。

今回の重傷者は火傷がひどいという。
皮膚が焼けただれるなんて戦火の戦争中でもないのに。気の毒でならない。
リハビリや皮膚移植とか、きっとそれは過酷な日々でしょう。
なぜ、何もかも嫌になったのならこそ、死ぬときにこそひとり美しく静かに
死なないのだ。ジタバタした上に、罪のない人を巻き添えにするなんて。
ガソリンを買ったり、タンクを買ったりする知恵や手間があるのなら、自分の
殺し方を考えろ。

せめて、自分を誰かのたった1人でいいから役に立って、感謝されてあの世に
旅立ちなさい。そうすれば、自分も救われ誰かを助け、生まれて来たことを
後悔せずに天国に行ける。親、兄弟、親戚にも迷惑かけずに逝ける。
自殺した後、自らの体を全て献体に回し、臓器移植に同意して旅立てばいい。
所持金6万円もあったのならバラの花を山ほど買って水に浮かべた小船を満杯にし、
横たわって死ぬなんてどう? オフェリアのように美しく穏やかに旅立てると思う。
まあこれも、後始末をする人にはすこぶる迷惑な話だが。
残酷で忌わしい事件とどれほど違うことか、考えなさい。事件を起こすことばかり
考えて、事件後のことを考えていないのだろうな、きっと。
警察や地方自治体にかける手間もこんな事件を思うと些少で、税金も助かる。

こういう事件が起こると、オリジナリティな知恵もない輩による模倣犯が、またぞろ
出てくる危険性を憂う。もういい加減にしてくれ。
本当に、嫌なご時勢、嫌な事件だ。

2009年7月2日木曜日

どうして食べないの?

また、日本の海岸に鯨が迷い込み、動けずにいるニュースが流れた。

先日も和歌山だかの海岸に迷い鯨。人々の助けもかなわず4~5日経過。
相当弱っていて、このまま死んでしまうのではと危惧されていたところ、
たまたま大雨が降ったせいもあったけど、何とか外洋に泳ぎ去ったという。

よかった、よかったと胸を撫で下ろし、気をつけて仲間のところに帰るんだよ
なんて思ったものだが、もし弱ってしまって死ぬのを待つだけの状態で放置
するしかなく、どうしようもなくて‘生ゴミ’として廃棄処分にするのなら、
これを、神様からの贈り物として食料に回すべきだと思ってしまう。
みなさんはどう思いますか?

例えば、海と山との狭間に住宅地が存在する芦屋や六甲では、民家近くにまで
いのししや狸がよく出てくる。
覚えのある人も多いでしょうが、車を運転していると出会うことも多い。
激突されることもままある。
芦屋川の辺りでは、バカなことに餌付けを日課にしている人もいるから困る。
生活領域を守らせずにますます住宅地に近づけて、ゴミ袋を漁ったりさせて
しまっているのだ。むやみに野生のものに餌をやるなと言いたい。

いのししも狩猟シーズンであろうがなかろうが、車にぶつかって昇天したものは、
神様からの贈り物。 みんなでしし鍋にすればいい。食べなきゃいのししも
浮かばれまい。食べてこそ成仏して、生きた意味がある。
さらに言えば、ゴミ袋を漁っている不届きな輩、いのししもとっ捕まえて食べよう。

悪名高き琵琶湖のブラックバス、生命力が並外れて強いから大量に増えて久しい。
当初、どうして食べないのと疑問だったが、味がまずくて食べられないのだとか
聞いた。ところが、ご当地の人々がいろいろ工夫して、肥料にしたりメニューを
考えて食べられるようにしたりと努力されていた。
食べられるなら、どんどん獲ってみんなで食べればいい。

私が子どもの頃、田んぼに大量発生していた邪魔者扱いのアメリカザリガニ。
子どもたちにとって、ザリガニ獲りはかっこうの楽しい遊びだった。
海老や蟹の仲間なんだからフライにして食べればいいのにと思っていたが、
食べたという話は当時、周りで聞いたことがなかった。

ところが、今朝のNHKのテレビで、アナウンサーが食べていた!
何でもフランス料理としてイケテルのだそうだ「ウーン、海老に似た感触ですね」
なんてコメントしていた。いいことだ。食べられるものはちゃんと食べなきゃ。
食料自給率が低い日本、狭い国土を再度見直して、食料確保に努力しなくちゃあ。

まだある。
以前から、とっても気になっているカラスとハト。
あれも食べようよ。カラスがどんな味なのかはまったく知らないし、分からない。
でも、とり肉苦手の私が香港でイヤイヤ食べたハト。めちゃめちゃ美味しかった。
小さい種類で、日本の何処にもボー、ボー、ホッホー、とバカっ面とデカイ態度で
糞と泣き声で公害を撒き散らしているあのハトとは違うけど同じ種目でしょ。
昔から幸せ運ぶ鳥みたいに言われてるけど、ぜったい運んでいませんから。

それに、カラス。
今や「七つの子」の子思いの母さんカラスのイメージは地に落ち、ずるがしこくて
抜け目のない狡猾なゴミ袋荒らしの最たるものだ。そばに来るとその大きさに驚く。
大きいと食べ応えがあるというものだ。もう山で暮らせないカラス、街中でゴミを
漁って、まっとうなカラス道を歩んでいない邪道なカラスは食っていいのです。
でも味となるとどうなんでしょうか? 誰かその道の達人に美味しい調理方法を、
ぜひ考えてもらいたい。

オーストラリアでは、その地の肉、カンガルーやワニをちゃーんと食べている。
いのししにカラス、そしてハト、ブラックバスにザリガニ。それにたまーに鯨。
これだけ国内で食料が確保できればとってもめでたい、是非ご一考ください。